和田綾香です!
1993年生まれ
25歳で法人設立して、今は輸出に関する事業者をしています。
赤ちゃんと二人暮らし一家の大黒柱としても家庭と仕事の両立して自由に暮らしています。
海外輸出に関するご相談お受けしています。
ビジネスしながらも子育てして、子供の成長を1番近くで感じることのできるこの暮らしを気に入っています。
和田綾香の経歴
2017年 工芸品のPR・販売で起業する
(これまでの経歴はこちらから)
2019年 株式会社平成浪漫を設立
2020年 海外輸出を開始
2023年9月 メディア系ECサイトを事業売却
私がよく聞かれる質問はこちら
なぜスイスに移住したいのか?スイスの魅力と日本人が移住する難しさ
取材していただいた記事
メディア取材・出演履歴
2024年6月19日 テレビTBS 朝の情報番組『THE TIME,』
2024年6月25日 テレビTBS ひるおび
SNS一覧
わたしのこと
幼少期
1993年に群馬県で生まれます。
子供の頃の性格はというと、勉強は全然できないですが、色々なことに興味があって、学校が終わると趣味の活動や習い事に熱中していました。
勉強の方はどのくらいできないかというと、高校生の頃はテストでは学年で下から3番目で進級ができないかもしれないと親を呼び出される程でした汗
輸出のビジネスを始めて、発送除外国の設定をして色々な国があることを知って、アメリカに商品を送って、ヨーロッパに行って、アフリカに行って、中国に行って、30歳になってようやく地球儀上のそれぞれの大陸の位置を把握しました。
衝撃の学生生活
私が起業するきっかけは学生時代にありました。
もともとは女の子らしいことが好きだったので、23歳頃には結婚して専業主婦か服作りでもしているかなと妄想していました。
それが全く異なる人生になるとは、私の周りの人も誰も想像していなかったと思います。
高校を卒業後はファッションデザインの専門学校に通いました。
学校では、パターンや色彩のことや服作り、生産管理やマーケティングなども習いました。
専門学校の卒業する時期にあるイベントがありました。
卒業制作といい、クラスでいくつかのグループになり、そのグループ内で社長やデザイナーなどの役職を付け、ブランド作りから服の販売やファッションショーなどをするというイベントです。
私はこのイベントの役職でたまたま社長になりました。
社長になったからには、力を注いでこのイベントに集中していたのですが、卒業直前にある衝撃的な出来事が起きました…
当時クラスの同級生の1人とお付き合いをしていたのですが、その男性がなんとこのイベントで別のグループの女社長と浮気をしていたことが発覚しました!
家に忘れ物をしたので、鍵を開けたらなんとその女社長が布団の上にいたのです。
今考えたら衝撃的な絵面ですよね。
こんなことがあり学校に行ってもその2人が同じクラスにいる中このイベントの進行もしていけないという状況だったので、私の会社は不完全燃焼のまま卒業するという流れになってしまいました。
当時の私のグループのメンバーや周りにも迷惑をかけたので、卒業した後にどうしたらこのモヤモヤが晴れるのかずっと考えていた結果、私は本当に会社を作って、心豊かな暮らしができる人が増える活動をしようと思いました。
それが私の会社のヴィジョン「心豊かな暮らしを届ける」にも繋がっています。
当時は本当に辛い出来事でしたが、このことがなかったら今の私はいないのでこれで良かったと思っています。
夢のための時期
今から10年近く前のことです。
東京に上京して、私は会社を作ると心に決めてから、どうしたら社長になれるのか分からなかったので模索をしていました。
当時は本を読むことも続かなかったですし、検索力がなかったので自分で難しそうなことを調べるということもほとんどできないほどだったのです。
最初に思いついたのが、社長に会って聞いてみようというものでした。
東京では港区に社長が沢山いると知ったので、新卒の時の同期に港区に連れて行ってもらいました。
そこで本当に色々な社長がいたので、どうしたら会社が作れるのか聞いたところ、法務局に申請をすれば会社が作れると知りました。
そして会社を作るには資本金と申請をするためのお金が必要だと知ったので、お金を貯めることにしました。
当時は新宿ルミネのアパレル店員で手取りが17万円で、東京での生活すら毎月ギリギリだったので副業をしてそのお金を貯めました。
本業と副業の二足の草鞋の生活は5年近く続き、今は毎日最低7時間は寝ていますがこの頃は睡眠時間が平日は毎日3時間くらいでしたがなんとか目標の金額を貯めて、会社設立の方法も分かり、やりたいことができたので起業をしました。
今よりずっと忙しかったですが、あの頃の経験はとても貴重でした。
好きなことで起業
自分の目標に向けて、本業の方も転職を一度しました。
企業でお勤めしていたのは新卒の1年と、転職した先のECサイトの会社で法人営業部 新規開拓の仕入れ担当の2年です。この3年間の後、自営業者として独立しました。
起業をする前に勤めていたECサイトの会社では卸仕入れを学び、毎日新しい取引先を探して開拓していました。
そのような業務をしていく中で、プライベートでは食べ物や飲み物に食器を合わせることが楽しいと思い始めたのですが当時はネットで工芸品の事業をしている方がほとんどいなかったので、工芸品に関する事業からスタートしました。
この事業は、アンティークの輸出や、飲食店での店頭販売等もしてきました。
販売の方は対面販売の方がメインだったのですが、この頃コロナウィルスが蔓延し、ほとんど販売することができなくなりました。
同時に沢山の事業者がネット市場に参入してきたので、これから拡大しようとしていた事業に急に競合が出現しました。
ウィルスの影響について少し様子を見ていましたが、これは自分自身が変化するしかないと思ったので、新しいことを始めることを心に決めました。
国内向けネット販売は沢山の事業者が参入しはじめた、それでは私はまだ行っている事業者が少ない海外向けネット販売をはじめよう。
そう思って海外輸出ビジネスを始めることを決めました。
これまでの経歴はこちらから
輸出ビジネスに出会う
ネットで「海外輸出」で検索をしていて、eBayというアメリカのプラットフォームがあることを知ります。
輸出をしたいけど、どうやって海外のお客様を見つけるか分からないし、輸出をしたことない異国の地の人を信用してもらえる可能性は低い、それならこのプラットフォームで輸出をしてみよう!
そう思ってeBay輸出を始めました。
最初は自分で調べて検索した情報をもとに進めていたのですが、なかなか売れないし、アカウント停止になってしまうこともありました。
でも私は輸出の事業をしたいと思って諦めませんでした。
そこでeBay輸出を事業として運営されてきた方から直接指導を受け、学びながら実践をしていきました。
eBay輸出を始めてから未婚で出産もしました。
予定よりも早く産まれてきたので、出産当日もeBayで出品作業をしていました。
突然1週間入院になるということだったので、産院にパソコンを持ち込んで、出産した日の夕方にお客様に配送予定日のメッセージを送ったのを覚えています。笑
eBay輸出を始めたばかりの頃は、他の事業もありましたが、eBayのための時間を作って黙々と作業をしていました。
指導を受けてから実績がついてきたり、複数アカウントの運営を始めたり、海外のお客様が日本に来るときは商談をして直接取引が始まったり、最近では中古車の輸出の事業も始めました。
そしてご希望の方が多々いらっしゃったので、個人で輸出をしたい方へコンサルティングもさせていただいております。
今まで私のクライアントさんは、遺品整理事業をされている方、買取事業をされている方、国内で商品販売をされてきた方、お稽古の先生や不動産オーナーの方などいらっしゃり、
輸出に関連がある事業をされてきた方や全く異なる仕事をしてきたけど、新しい事業の柱を作りたい方などもいらっしゃいます。
まずは自分の不用品を海外に送ってみたい、単価の高いブランド品の輸出をしたいなどご相談はお気軽に公式LINEからお願いいたします。
また、公式LINEでは eBay輸出初心者入門マニュアル の配布もしておりますので、お気軽に追加してください。
運営会社
当WEBサイトは株式会社平成浪漫によって運用されています。
会社名 | 株式会社平成浪漫 |
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住所 | 東京都港区南麻布1-9-15-204 |
創業 | 平成29年7月1日 |
設立 | 平成31年1月17日 |
お取先銀行 | 三菱UFJ銀行 (麻布支店) 城南信用金庫 (五反田支店) 芝信用金庫(白金支店) |
お問い合わせ
取材、お仕事のご依頼、ご相談、ご不明点などお気軽にお問い合わせください。
※度々ご連絡いただいております中古車に関する輸出のコンサルティングは現在行なっておりません。
私自身、実践しながら学んでいるところなので。
情報交換だけでもという方はお気軽にご連絡いただけたらと思います。